自分大学

2015年8月30日 (日)

はあ~なつやすみ!(教員免許更新講習)

この夏休みに、教員免許更新講習を受けた。これは、2009年から始まった制度で、こんな制度があるのは日本だけなんだって。3万円も自腹で出さなくちゃならないし、面白そうじゃないし、受けなくてもいいかなあと思っていたけれど、あんなに苦労して取ったのに、なんか悔しいなと思ったので、受けることにした。


ネットでしか受け付けていないので、申し込み方を理解するのにもたもたしていたら、
いい日にちの面白そうな内容の講義はすぐに埋まってしまった。結局、2つの大学で講習を受ける羽目になってしまった。

私立の大学と、某国立大学。

全然期待してなかったのに、選択科目はとても面白かった。直接教育にすぐ役立つという内容ではなかったけれど、視野が広がり、心が豊かになる内容だった。
でも、国立大で受けた、必修の「最近の教育事情」というのが、なんだかなあ~な内容だった。現場で苦労している教員には何の役にも立たなかっただろうなと思う。私は眠らないように目を開けているだけで大変だった。
教育は人間を扱う仕事だ。だから、教育関係の法律がいつ決まったとか、新しい教育のやり方の名前がOOO教育だとか、(そういうことも知っておかなきゃだめですけど。)それだけで、終わっちゃっていいのかってこと。
ひどかったのは、学校でカウンセラーもやってるっていうセンセーの話。
いろんな子どものケースを出してきて話してくれたのだが、その中の1年生のT君の話。
「T君は授業中もじっとしてなくて、自分の思い通りにならないと教室を飛び出してしまう子で担任も手を焼いていた。SCの所にはちょくちょく来てくれるのだが、腕を噛むので、あざだらけになってしまった。でも、我慢して対応していたと、でもこの学校の担当が終わるころに、もうほかに行かなければならないことを話し、良い子になるようこんこんと話して聞かせたら、その日は腕を噛まないで、よく話を聞いてくれた。そして他の学校に行ってしまったので、その子が今どうしてるかは知らない。」と。
私は「はあ~?」と思った。それでおわり?なんで、電話してその後、その子がどうしたか聞かないの?って思った。
もう一人の先生は、質問は?と聞いておいて、誰かが現場の具体的な悩みを質問したら、「それは、現場の先生方の方がよくご存じでしょう?私は理論だけだから、現場の事はよく知らないんです。」って。
これも、「はあ~?!」ですよ。なんじゃこりゃ!
心が何にも伝わらなかったのがとても残念だった。
感じたのは哲学不在ってこと。
大学の教員養成の現場は採用試験対策を授けるだけじゃないはず!
更新講習事態が意味ないとは思いませんが、もう少しやり方を考えた方がいいのかもしれないな。ていうか、大学の教員養成の内容をもっと考えた方がいいかもしれないと思った。
そして教員養成の中に、「子どもと本」の内容をぜひ入れてもらいたいものだ。
ああ、それにしても、猛暑の中、
都合6日間、朝9時から5時まで、ずっと授業受けるのはなかなかハードだった。

2015年5月31日 (日)

吉田新一先生講演会

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25日、ナルニアで行われたエドワード・アーディゾーニに関する講演会で、吉田新一先生の話を聞いてきました。たくさんの資料を見せていただき、興味深いお話をたくさん聞きました。頂いた資料の中に、オンリー・コネクトⅢに「絵本の創造」というアーディゾーニの文章があるから、できたら、全文読んでみてください。とあり、さっそく、アマゾンで購入(今は古本しかない)し読んでみた。すごくinteresting!

アーディゾーニの絵本にはよく、吹き出しがついているけれど、そのわけとか、子どもにとっての優れた絵本の条件などが、書かれてあって、その内容が、すごくうなづけるのだ。
絵本の絵について、「物語を明確に語り、納得のいくように登場人物を写し出し、微妙な情感を伝える絵を描くのは難しいことです。」
「見かけばかりの明るい色さえつかってもらえば、幼い子ども向きの本の仕事は、アマチュアあるいは経験の浅い、画家で充分だという考え方があります。例外はあるかもしれませんが、私はこの考え方はまちがっていると思います。幼い子どもたちには、可能な限り、最善の絵を与えられるべきです。」とあり、また絵本の文章については
「物語を限られた少ないことばで語り、しかも、声に出して読みやすく、耳に快いひびきを与えなければならない。」「ページの終わりごとに、文章は問いかけ、あるいは、サスペンスのある調子で巧まずして中断されなければならない。」
そして、その内容、題材については
「子どもの読書の分野では、私たちは、たぶん、子どもたちを、実際の人生に存在する困難な事実から遮蔽しすぎているのではないでしょうか。悲しみや失敗や貧しさや、そしてたぶん死でさえも、詩的にとりあつかえば、子どもたちを傷つけることなしに、必ずやすべてとりあげられると思うのですが。考えてみれば、子どもの本は、ある意味で、子どもたちの行手にある人生の紹介者ではありませんか。もし、これらの本の中に困難な世界のことが何も触れられていなければ、私たちは果たして子どもたちに対して公平にふるまっていることになるのでしょうか。」とつづくのである。このあと、わらべ歌についての慧眼な文章も納得です。
その他、ナット・ヘントフの「かいじゅうたちにかこまれて」というセンダックについての興味深い文章もとてもおもしろかった。
他にも、デュボアザン、ポター、アーサー・ランサムなどについての文章も面白そうだ。読むのがたのしみ!。この本のことを知ることが出来ただけでも収穫だった。
あと、まだ、「天路歴程」についてや、「孔雀のパイ」についての話など、じっくり、と読み直し再考したい。

2015年5月 8日 (金)

瀬田貞二先生の思い出

今回、ストーリーテリングでもなく、わらべうたでもなく、ほんとにお話を聞く会でした。

何の話かっていうと、「瀬田貞二先生の思い出」話です。
あるところで、石川先生が瀬田貞二先生の教え子だということを知り、あら~じゃお話ききたいなあ、とダメもとで、勇気出してお願いしたら、「たいした話はできないけど」、と快くOKしてくださったのでした。しかも、わざわざ、ルピナス文庫に足を運んでくださり、ざっくばらんな感じで、お話してくださいました。途中私が質問したり、一緒に聞いていたメンバーからも質問があったり、瀬田先生の話だけじゃなく、子どもの本の周りのあれこれ、悩みなども話せて、とてもリラックスした会でした。

たまには、一方通行の話じゃなく、こういうやり取りがある会もいいなあ、でも、リラックスしすぎて、わだす、石川先生に「あのさ、」とか言っちゃって、あわてました。あわてて謝る私に、にこにこしながら「いいのよ~」と優しいお言葉。本当に修行が足りず、申し訳ない事でした。

でもでも、お話はおもしろかった!瀬田先生のお人柄のわかるエピソードをたくさん、お話してくださいました。特に、ユーモアのセンスが抜群だなあと感じるエピソードには皆、大爆笑。
それから、大学の授業で瀬田先生が、これは読んでおきなさいよと、勧められた児童書をたくさん教えていただきました。

ウォルター・デ・ラ・メアの「サル王子の冒険」(飯沢匡/訳)は現在「ムルガーのはるかな旅」(脇明子/訳)という題名で出ていますが、持っていただけで読んでませんでした。でも、今は新刊は出てないみたい。古本だけみたいです。
訳者あとがきを読んでみたら
「最初はデ・ラ・メア自身の4人の子どもたちのために書きはじめられたこの物語は、手に汗を握る冒険のおもしろさもさることながら、詩人ならではの繊細な言葉の美しさ、豊かな想像力によって描きだされた世界の壮大さによって、1937年にトールキンの『ホビットの冒険』が出版されるまではこれに匹敵するものはなかった、といわれるほどの高い評価を得ました。」
とあって、(うわあ~読みたい)と思いました。
そして、デ・ラ・メアは精妙な言葉のわざをつくし、自分で作った造語も多いので、わからない名前もいっぱいでてくるけれど、
「わからなくてもいいことにして、響きの楽しさを味わいながら先へ先へと読み進んでいけば、いつしか、ついぞ見たことのない不思議な世界が目の前にひらけてくるのがおわかりになると思います。それは、ふだん使いなれた言葉だけではけっしてたどりつくことのできない世界ーーー見えないものを見る特別な想像力と、それをとらえる言葉の魔術なしには、とうてい描きだすことのできない世界なのです。」
とあって、ますます読みたい気分が盛り上がってきました。このことは、私が石川先生に質問したことと関連しているような気がしました。それは

「瀬田先生の『幼い子の文学』や『絵本論』には聞いたこともない言葉や辞書引いても出てこない言葉、瀬田先生独特の言い回しが出てくる。それはすごく
言い得て妙という言葉が多いのだけれども、読み方がわからず困った、出版社にどうしてルビふってくれないのかと文句いいたいくらい」といったら、

「子どもでも、わからないことばだらけなんだけれども、国語教育で大切なことはわからない言葉に出会うことだそう。わからない言葉が想像力をかきたて、成長をうながすんじゃないだろうか、というようなことをおっしゃったんだけれども、同じようなことが、このあとがきに書いてあっておどろきました。

ずっと前に買ったけど、ずうっと読まずにほこりをかぶっていた本がにわかに、光り輝きだして私の目の前にある。こういうことは今まで何度も経験してきましたが、何度経験してもわくわくします。

あと、石川先生が名前が思い出せなかった本、これじゃないかなと思います。
ジョン・メイスフィールドの「喜びの箱」石井桃子/訳です。
これも、買ったっきりまだ読んでない本です。この本の前編の「夜中出あるくものたち」も持っていますがまだ読んでいません。これも以前友人が「すてきなのよ~」とすすめていたような気がします。
あと瀬田貞二作の絵本「きょうはなんのひ」(福音館)の中にでてくる家は瀬田先生のおうちがモデルで、そのまんまだそうです。そして瀬田文庫はまだ娘さんが引き継いでやってらして、奥様は今もご健在だそうです。浦和にあるそうですが行ってみたいわあ。お宝本がいっぱいありそう。
ということで、絵本論の大先生が身近に思えた一日でした。

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2013年6月 3日 (月)

北野佐久子さんの講演会

Pa0_0006サマースノーがお店の正面に咲き乱れる美しい川越の絵本カフェ「イングリッシュブルーベル」で

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25日の土曜日、ハーブ研究家,北野佐久子さんの「児童文学の中のハーブとお菓子~ピーター・ラビットを中心に」と題した講演会があった。

ハーブが物語の中でどう描かれているか、イギリス人にしかわからない、ハーブの描かれ方があるということ。描かれているハーブにはちゃんとわけがある。

厚さ10センチはありそうな大きな本

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ジェラートのハーバル「THE HERBAL]これはイギリスではじめて出た植物の本、 1557年に出版されたハーブ辞典のような、この本には、ハーブの種類や効用だけでなく、それにまつわる話が書かれてあって、シェイクスピアもウィリアム・モリスもポターも愛用していたとのこと。

アヒルのジマイマのお話に出てくる、ジギタリスの花は、フォックスグローブ、きつねのてぶくろともいわれているが、それはジギタリスの筒状の花を爪に履いて音を立てずに歩くためだそうだ。

以前、「金のがちょうの本」にでてくる3びきの子ブタ」の挿絵でお母さんブタが子どもを見送る場面のところに咲いている花は実際にこの地方に咲いている花が描かれている、と聞いたことがあったが、その時はそれがなんなの?という感じだったが、今回、その花を描くことで、季節や場所がわかるのだということが分かった。

その他にも、湖水地方のおいしいお菓子の話や、キューガーデンのイングリッシュブルーベルの花園などを見せてもらい、イギリスに行きたい気持ちが高まった・

2013年2月23日 (土)

久々の

Pa0_000321日は、子どもの通っていた幼稚園で、子どと本についての、講演会をしてきました。

写真のお花は、その時いただいたもの。いや~こんな素敵な花かご、今まで、もらったこと

ないです。私が好きそうな花を選んで作ってもらったそうな。こう見えても、かわいいもん好

きの私の嗜好をよく知ってらっしゃる!、みなさまに感謝です。

久々に、幼稚園まで、歩いて行きました。懐かしい忍者森(ただの雑木林の道なんです

が、子どもたちがこう呼んでいた)、いつもお茶休憩した階段、タケノコが時々顔を出してい

た、坂道。ここはアスファルトになってました。16年たったなんて、信じられない。そこここ

に、あの時の小さかった子どもたちが、ちょこちょこ歩いてました。

幼稚園につくと、副園長(園長先生の娘さん)が待っていてくれて、森を案内してくれまし

た。この幼稚園は、園内にかなり広い森や、畑や、ヤギ舎などがあり、子どもたちは、そこ

で、のびのびと遊んでいたのです。でも、時代でしょうね、ターザンロープは、危ないからと

撤去され、木の根元は柵で守られ、なんだか小奇麗になっていて、昔のジャングルっぽさ

はなくなっていました。

でも、そこにいると、ホッとする、感じは全然、変わってなくて、素敵なところだなあ、と改め

て思い、ここを守るために、現実的な煩わしい対応を引き受けている副園長さんに頭が下

がる思いでした。

冬だから、木から葉が落ちているせいで、富士山が大きく見えて、下をみると、大きな霜柱

が、お日様の光をうけて、ダイヤモンドを散らしたようにキラキラしていました。

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2012年10月10日 (水)

N宅の会

昨日は「N宅の会」でした。

朗読したのは「九ばんめの波」・・・町かどのジムファージョン/文、E・アーディゾーニ/絵童話館出版
 「月がほしいと王女さまが泣いた」・・・ムギと王さまファージョン/作、石井桃子/訳 岩波書店

二つとも奇想天外なものがたり、今風にいえば、(ぶっとんでる話)、朗読している間、くすくす笑いが出る。こういう話は心を開放させるなあ。

「九ばんめの波」はジムらしい、ほのぼの感が楽しくて、ああやっぱりジムの世界はいいなあと思う。

「月がほしいと~」は、ナンセンスいっぱいで楽しい中に、ちょっと毒があって、風刺がきいている。

人々が訳もわからず、付和雷同していく様を、スピード感あふれる文章で描いている。


「だれも、なぜ夜がまちがっているのか、考えてみる者はいませんでした。みんながそういってるのだから、それでいいのです。」「かれらは、みなかたい決心をかためていました。けれども、じぶんたちが、なんのことでさわいでいるのか、わかっているものは、ひとりもいませんでした。」

聞いていて、先日の中国での若者の暴動が思い浮かんだ、という方もいた。日本人もマスコミに踊らされ、自分の頭でものを考えないで、人の言葉に踊らされている人のなんと多いことか。

先日読んだ小川洋子さんの「物語の役割」ちくまプリマー新書の中にとても心惹かれるエピソードが書いてありました。
「博士の愛した数式」のイスラエル版の契約が、ヒズボラがイスラエル兵士二人を拉致したことに端を発するイスラエルのレバノン侵攻のために遅れていたのだが、停戦が成立してやっと契約が成立した。その時、自分の小説が現実社会と無関係ではなく、爆弾が飛び交う中で私の小説が読まれることもあるのかもしれないと思った。契約の知らせとともにエージェントの人が送ってくれたメールには


『同じ本で育った人たちは共通の思いを分かち合う』という一文がそえられていた。

民族も言葉も年代も性別も違う人間が、どこかで出会ったとして、その時、お互いの心を近づける一つのすべは、どんな本を読んで育った人かということ、同じ本を読んでいたら、たちまちその人が身近になり、心をかよわせることができるでしょう。いつか自分の書いた小説を、そういう場面で誰かが挙げてくれたら、作家としてこんなに大きな幸せはない。

と、まあ、だいたいこんな内容の話でした。

物語が、宇宙からみたら地球にはどこにも線が無いんだという事実に、気づかせてくれて、人間の本当のしあわせは、心を通じ合わせることなんだということも、わからせてくれるのだと思います。

これからも、そんな物語を子どもに届けていきたいし、また新しく出会いたいと思います。

2012年10月 1日 (月)

絵本の会

27日は「絵本の会」でした。

今回は「昔話の絵本」について、「昔話絵本を考える」松岡享子著、(日本エディタースクール出版部)をテキストにして話し合いました。まずフェリクス・ホフマンの絵本、「七わのからす」(瀬田貞二訳、福音館書店)を読みました。それから、子どもに聞かせるグリムの昔話に入っている「七羽のからす」を読みました。

それから、みんなで、感想を言い合いました。一番多かったのは「絵本の方は絵に違和感があって、なかなか、話が頭に入ってこない」という意見、以前このお話を耳で聞いていた人は「絵が邪魔で、お話のストーリーが頭に入らなくて、受け取る印象が散漫になってしまった。」という意見もありました。

お話をより分かりやすくするために絵本にしたのに、その絵が、お話から本来受け取るものを、返って薄めてしまっている、もっというと、台無しにしている、これはいったいどうしてなのか。

詳しいことは、「昔話絵本を考える」に、わかりやすく書いてありました。

今回、おもしろかったのは、Mさんが「あかずきん」の絵本について話してくれたことです。

何年か前、子ども文庫の会から、「赤ぼうしちゃん」(マーレンカ・スチューピカ/絵、山本まつよ/訳)という絵本がでました。山本まつよさんが訳して新たに出す、あかずきんの本ということで、楽しみにしていたのに、見てがっかりした場面があるというのです。ずきんは今の子どもには合わないから赤ぼうしにしたそうですが、ここではそのことは論じません。問題は、あかずきん(ここでは赤ぼうしちゃん)が、おばあさんの家に入っていく場面です。

見開きの左に文、右に絵があるのですが、左の文には「おばあさんの へやへ はいってみると、ようすが とても かわっていたので、赤ぼうしちゃんは、『あらまあ、いつも おばあさんと いっしょにいると、とてもたのしいのに、きょうは なんだか、へんな きもちで、おちつかないわ』
そこで、おおごえで、『おはようございます』と いいましたが、へんじが ありません。ベッドのそばに いって、カーテンを あけてみました。すると、おばあさんは、ずきんを かぶり、かおを かくして とても へんな かっこうを していました。」とあるのですが、

右の絵は、もうカーテンがあいていて、どうみても、おおかみとわかるおばあさんが寝ていて、あかずきんは入り口で、もう、そのオオカミのおばあさんと目が合っちゃってる!
「これじゃ、だめなんです。こどものころ、あかずきんを絵本で読んでもらった時、部屋に入ったときは、わからなくて、カーテンをあけて、はじめておおかみのおばあさんをみるわけなんですけど、この絵じゃ、もうおおかみなのがありありとわかっちゃってる。それじゃ、サスペンスが半減しちゃうんです。」それで、子どものころ読んでもらったあかずきんの絵本はどうだったんだろうと、探していたら見つかって、(「あかずきん」大塚勇三/訳、堀内誠一/絵、福音館のペーパーバック絵本

あらためて読んでみたら、その場面、やっぱりおおかみだとわかる絵だったそうだ。持参してきてくれたので、見せてもらったら、おおかみのおばあさんが、あかずきんに背を向けてベッドに寝ていて、読者の方をみているけど、入口にいるあかずきんには、その顔が、まくらで見えない、という絵になっていたのです。Mさんの記憶では、カーテンをあけても、ずきんとかけぶとんで顔をかくしていて、目だけしか出てないと思っていた、というのです。

絵本を見ている人には、おおかみの顔がみえているんだけど、Mさんはそのとき、あかずきんになっていたから、まくらのかげにかくれていたおおかみがわからなかった、ということになるんです。物語から受けるインパクトが強いと、見ている絵とは別の絵を自分で作り上げ、それを心の中で動かしてお話を記憶するということがあるのかもしれない、とおもいました。

だから、昔話絵本は、どの場面を絵にして、どう見せるかも大切だけど、テキストも大事になってくる。

昔話絵本の存在を全否定するわけではないけれど、有名な作家が作った絵本だからとか、有名書店が出してるからとかで、選ぶのではなく、そのつど,検証していくことがたいせつ。今回「昔話絵本を考える」を、読みなおしてみて、やはり、昔話は語ったほうが、自由にイメージできて、そのお話の伝えたいことがダイレクトに伝わるのだということを、改めて実感した。

2012年8月13日 (月)

フードムードのお料理教室

8月6日は「カレー教室」、8月9日は「クッキー教室」でした。

両方とも、国立のフードムード主催の教室で、とても楽しくためになる時間でした。

先生はお二人ともお若く、へたしたら私の娘?といってもおかしくない年齢の方、でもしっかりと上手に教えて下さいました。

「カレー教室」:ルーでなくスパイスを使ったカレーを教えてくださるというので参加した。うちの家族はカレー大好きなんだけれど、ルーでつくるとカロリーが・・・でもスパイスでつくるといまいちおいしくできなかったので。

講師の増田先生はこれまでに何度も、インドに行かれて、ホームステイして家庭料理を習ったり、いろいろアジアも食べ歩きしていらっしゃる行動的な方、かわいくて華奢な体つきなので、インド、一人で行って怖くありませんでしたか?とお尋ねしたら、「怖さより、好奇心の方がかちました」ですと。

ご紹介していただいた、メニューは

「ムング豆のカレー」
「スパイスなす」
「インド風大根サラダ」
「チャパティー」
「マサラチャイ」

最初に各スパイスについて使い方や効能など一つ一つ実物を見せていただきながら教えていただきました。なるべくホールで購入した方がいいそう。パウダーだとすぐ香りがとんでしまうそう。でも、スパイスは高いのが難点、といったら、安い所を教えてくれました。蔵前のアンビカショップ。

さっそく帰りに行ってたくさん買い込みました。

カレーはクミンシード、ターメリック、コリアンダーパウダー、チリパウダーだけでおいしいカレーになりました。

普段私たちがカレー粉と言っているのは「ターメリック、コリアンダー、クミン、カルダモン、等」を混ぜたものを、カレー粉といっているのだそうです。会社によって、スパイスの種類や配合が違うみたいです。

ムング豆というのはいわゆる緑豆で春雨の原料などに使われているもの。これがひき肉のような感じで、たまねぎとトマトとしょうがしか入ってないのに、おいしいんです。

チャパティーはナンとはちがって、アタという全粒粉、塩、水だけでつくる、焼く時も油を使わないのでカロリーを気にしてる私には嬉しい。塩、水を加えて、なめらかになるまでよくこねて、ふきんをかぶせて15分くらい休ませる。

それを分割してまるめて、麺棒で平たく丸く伸ばす。それを熱したフライパンに置いて手で回しながら焼く、固くなったら、フライパンから出してコンロの上に直接置くとすぐにふくれてくるので、ひっくり返して、できあがり。この時、プーっとふくれてくるのが楽しい。これをちぎって袋状になったところにムング豆のカレーをいれて食べる。ちょっとピタに似てる。だから、カレーだけでなく、こぼうサラダやチキンサラダなどを入れてもおいしいかも。

直接コンロに置くなんてわざは本には出てないから、こうやって直接教えてもらわなくちゃ分からないかも。

それから、マサラチャイ。カルダモン、クローブ、シナモンみんなホールを手で割ったりして細かくして入れる。これが粉のより、香りがよくてしかもすっきりとした味になるのだ。おいしくてお代わりしたかったほどだ。

とくにカルダモン、緑の葉みたいなのを剥くと、中に小さな種が固まってはいってるのを崩して鍋に入れるのだが、その固まっていた種を一粒づつもらって口にいれてみると、しょうがに似たさわやかな味があんなに小さな種なのに口いっぱいにひろがった。インドの人はカルダモンを何粒かポケットに入れて持っていて、車酔いや頭痛の時に食べるそうだ。生活の中にスパイスが自然に取り入れられているのだ。

ナスやだいこんといった身近な野菜もスパイスの使い方でインド風に。

「クッキー教室」:講師の柳先生はなかしましほさんが「成形などは私よりきれい」といわしめるほどの上手。教え方もてきぱきと、時間が足りるかしらと思ったけど、ぴったりでした。

今回は「すまいるクッキー」を教えていただきました。なかしましほさんのクッキートの出会いはいまから4年くらいまえかな。

クッキーやケーキが大好きなのに、年のせいか食べたあと必ず胃がもたれて苦しくなってた。そんなときにであったのが、なかしまさんのお菓子の本「もっちりシフォン、さっくりクッキー、どっしりケーキ」をみつけて、これだ!と。

でも、なかなかおいしくできなかった。そんなとき葉山の「やまねごはん」さんでやった、なかしまさんのクッキー教室に参加。8人の少人数で教えていただいた。

みんな20代後半から30代前半のヨガやってそうな、木綿のふくきてそうな感じ、クウネルとか天然生活読んでそうな、そんな人たちの中に、ひとり平均年齢をあげてる関西のおばちゃんみたいな私がいて、ちょっと場違いだったかなと思ったけど、一番前にすわって「先生、今なんでそうしたんですか?」とか聞いてた。

でも、それからも、おいしいんだけど、ちょっとかたいクッキーしかできなくて、そんなとき、太っ腹なかしま先生は「ほぼ日刊イトイ新聞」でクッキーの作り方の動画を公開してくれて、それをみてやっと、わかった!なかしまさんのクッキーはさわらないこと、できるだけ手数を少なくして焼くのがポイントだったのだと。それからは、どのクッキーもさくさくにできて、すごくうれしかった。でも、このスマイルクッキーはおいしいんだけど、顔にはたけができる、つまり、白い所がところどころにできて、かっこわるいのです。で、それを克服すべく、それから、お店で売ってるクッキーはどんなところで、どんな道具で作られているのかが知りたくて参加したのです。前ふりが長くなりました。

で、最初は先生つくるところを見せていただく。さすが手早いが、私と違ったところは特にない。それなのに、先生のクッキーは少しは白いとこもあったけど、軽くてさくさく。事前に自分で作ってきたクッキーと食べ比べると、やはり違う。

先生によると、白くなるのはメープルシロップの混ざり方によるそうだ。粉にまんべんなくメープルをいきわたらせることが白い所を作らないコツ。

私が作る番になったので、そのことを注意しながらやいたら、なんとうまくできた。下の左が私のクッキー、右が他のみなさんの。さかさまでした。

とてもおいしくできたので、これが家に帰ってもおいしくできるように、コツを忘れないうちに作らねば。

それから、この日はランチも出してくださいました。

「ベトナム風サラダめん」と「甘酒アイス」どちらも素晴らしくおいしかったです。
「ベトナム風サラダめん」はなかしましほさんの「ごはんですよ」文藝春秋社、という料理本にでてます。「甘酒アイス」のレシピはエッセ8月号に出てるとのことでしたが、もう店頭には9月号しかありませんでした。

「ベトナム風サラダめん」はもう何回も作りました。そうめんでも、ひやむぎでも、細うどんでもおいしかったです。

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2012年7月18日 (水)

みつけどりの会(7月)

17日(火)はみつけどりの会だった。
今回は私が語るグループだったから、大変でした。

私は、会の名前でもある「みつけどり」を語りました。

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2012年7月11日 (水)

7月のN宅の会

昨日は7月のN宅の会

今回は私のわがままでファージョンはちょっとお休みして、番外編で「お話を運

んだ馬」より、「お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語」と「自分はネコだと思っ

ていた犬と、自分は犬だと思っていたネコのお話」を読みました。

皆さんの感想は、いろいろ。

「ナフタリは結婚しなかったけれど、好きなお話を届ける仕事と、愛馬スウスをい

つくしむことで、充分幸せだったんだと思う。」

「ナフタリが誰かに似てると思って、誰だろうとよく考えたら、それはOOさんでし

た。OOさんもいつか、今まで私たちに話してくださったことを、本にしたらどうで

すか?」

「今の子は孤独に耐えて、何か自分の好きなことに没頭するということがなかな

かできにくくなった、昔は人がなんと言おうと、ひとりで自分の好きなことに没頭

している子がいて、みんなそういう子の存在を認めていた。少々付き合いが悪く

ても、その子の好きなことの専門知識の深さを尊敬していた。今はみんな同じも

のを好きになり、みんな同じことをしている。そうしないと仲間外れにされたり、

ばかにされたりするから。自分が本当にしたいことじゃなく、みんなしてるから、

はやりだからといってやっている。だから、心からの満足がえられないまま、なん

だかスカスカの心で生きている感じ。でも、求めているのは確か、心からの充実

を。」

「最初の話に出てくる、麻袋、お話をたくさん聞いている子は、たぶん途中から

(あ、これは妖精のいたずらだな)とわかるけど、現実にばかりとらわれている心

では、気がつかないと思う。私はそれをおもしろがれたので、まだ心が枯れてな

いなと少しほっとした。」

私は、麻袋のところで思い出したことがある。子どものころ、まだ私が小学校に

上がってなかった頃のこと、一番下の弟が生まれて間もないころのことだ。父親

は持病のぜんそくがひどくなり、家で療養していて仕事はできなかった。だから

金が入ってこない。子どもが4人もいて食べざかりなのに3日も4日も片栗粉をお

湯でとかしてぶるぶるにしたものばかり食べていた。。お母ちゃんは洋裁の夜な

べ仕事をやり、朝新聞配達もやった。ある朝、大きなトラックがお母ちゃんの横

を走り抜けて行ったとき、何かぼとんと落とした。走って行ってみてみると、豚小

間がいっぱい入った袋だった。その日から、家は豚肉だけのすき焼きが続い

た。私は心配で「いいの?」と聞いたらお母ちゃんは「いい、いい、天の恵み!」

と平気な顔。私は誰かが怒鳴り込んでくるんじゃないかとひやひやしていたがあ

んまりおいしくてそんな気持ちも吹っ飛んだ。

こんなお母ちゃんの血が私にも流れているなあと思う。ここに引っ越してきた

時、子どもとよく近所の探検をした。ある日、だれもいない空家の庭に梅の実が

たわわに実っていた。道路に熟した梅が落ちてつぶれていた。私は道路にはみ

出た枝から梅の実をもぎ取った。年中さんだった長男は心配そうに「おかあさぁ

ん、どろぼうだよぉ~」というので「大丈夫、誰も住んでないから、それに、誰にも

食べられないで、下におちてつぶれちゃうより、家で梅ジュースになってみんな

に飲まれた方が梅もうれしいと思うよ。」なんて変な理屈で納得(?)させた。

そんな話で脱線しながらも、最後は、子どもがひとりでいることの大切さに話が

及んだ。Iさんがお子さんが幼稚園の時園長先生から「子どもがひとりでいる時

間を大切にして下さい。親はともすると、賑やかに群れて遊ぶこどものそばで自

分の子がひとりでいると心配してしまいますが、あきらかに仲間外れにされてい

るのでなければ、そっと見守ることが大切です。子どもはひとれでいるときに成

長するのです」といわれたことがある。と話してくれました。そういえばエリーゼ・

ボールディングの「子どもが孤独(ひとり)でいる時間」にそんなことがかいてあっ

たなあ。それから、阿川佐和子さんがある雑誌に(東京子ども図書館の松岡享

子さんに、子どもの活字離れについてうかがったことがあります。松岡さんは

「別に1日30分の読書時間しかなくても、それはそれで全然かまわないんです。

それよりも問題なのは、本を読み終わった後の時間がなくなっていることなんで

す。」といわれました。)と書いていました。それを読んである先哲が「青年よ、読

書と思索の暇をもて!」と言ったことを思い出しました。読んだことを自分の中で

熟成させる時間がないと、読んだことが自分のものにならない。考える時間がな

いと自分を生きられない気がするのです。いつも他人の思いの中で生きてる、

そんな気がします。ま、そんなことを考えた時間でした。

子どもがぼーっとしてたら、邪魔しないようにしようね。そんで、おとなもたまに

は夕焼けなんかみて、ぼーっとしよう!自分がその気になれば、おとなだってせ

いちょうできるんだから。

#ちなみに感想のの中のOOさんというのは、私のことです。Sさん、過分なお

言葉ありがとう。でも、私はしゃべったことをそのインパクトそのままに文に表す

力がないのですよ。とほほほ。

より以前の記事一覧