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2013年9月 5日 (木)

私の夏休み② 「こねこのぴっち」展

8月13日には銀座のナルニア国に「こねこのぴっち」展に行ってきました。

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お目当ては、フィッシャーの挿絵があるスイスの教科書。以前、桜井先生の講演会の時、見せて頂いた、チューリッヒの小学校の教科書の美しさに感動。どうしてもほしくてネットで見たら、わたすなんぞが買える値段ではなく泣く泣く断念。それ以来是非もう一度見たいと思っていたのだ。
その教科書は一章ごとの扉絵にフィッシャーの絵が描いてあり、挿絵もフィッシャー。固い紙の表紙で、確か、個人所有ではなく、何年もその学年で使うという教科書。きっと何人もの子どもの手に取られ、大事に大事に使われたのだろう。
桜井先生は山梨にある「小さな絵本美術館」でフィッシャー展をやった時に買い求めたとおっしゃっていた。本当に美しく、所有する喜びのある教科書。日本でも、そういう教科書があったらいいのになあ。
今回の展覧会では、その時見た教科書とは違う教科書だったが、挿絵が素敵なのは同じ。そして、内容が面白くて楽しかった。
瀬田貞二「子どもの本評論集 児童文学論」の上の中の「もっとも美しい『教科書』」という章にフィッシャーの教科書のことが書いてある。
スイスを旅した瀬田先生は思いがけなくフィッシャーの教科書を手に入れる。
「もう七、八年前になるが、スイスの美術雑誌を繰っているうちに、彼の挿絵の別刷をみつけたことがある。そのユーモラスでおしゃれな、繊細で優美な色鉛筆の、のびやかなスケッチや構図が、教科書の挿絵とわかって、教科書を一目散に捨てるものと思ってきた私は息をのんだ覚えがあった。あれが見たい、あれが欲しいーーそういう気持ちがひそんでいて、チューリッヒへ来て、いま果たされそうになっている・・・・・。」
チューリッヒの子ども本専門店キンダー・ブーフラーデンで、フィッシャーの挿絵のはいった小学読本を一揃いを手に入れることができた、瀬田先生のわくわくする気持ちが伝わってくる文章だ。
「その七冊の国語読本は、淡い七色の色見本のようなクロース角背の中型変型版で、うち二年生用と三年生の一部四冊がハンス・フィッシャー、三年生用三冊がアロイス・カリジェの挿絵になる。」
フィッシャーだけでなくカリジェも挿絵を描いていたとは。いいなあ、うらやましい!
「ほぼ、六十篇中、半数は伝承童歌で唱え言や謎かけを含み、時にやや前代の詩人の詩(童謡)もまざる。物語は短い創作があしらわれるなかに、グリムの二編、「赤ずきん」と「ブレーメンの音楽家たち」が要となって前後に据えられている。絵は、二、三ページおきに、色鉛筆の色絵ではいっていて、それは一ページ大から、十行分カットまである。その絵ーーあのいたずらっぽい日向の猫たちのように、かがみ、潜み、伸び、跳躍し、呼吸し休息する、細く柔らかく伸び広がる色の線のたわむれ。私はあかず眺めて、ふたたびこれが教科書だろうかと思わざるえなかった。」
挿絵もさることながら、内容も、古くても大事なもの、子どもにしっかりと伝えなければならないもの、そういうものを時代に、子どもに、媚びずに作っている姿勢がいいなあと思う。
以前、長男が6年生の時の国語の教科書の詩の単元の最初に出ていた詩は松任谷由美の「春よ来い」だったのにはあきれ、がっかりした覚えがある。日本には北原白秋や三好達治など優れて美しい詩がたくさんあるのに、なぜ?と思った。でも、もっとショックだったのは先生方が、そのことを何とも思っていなかったことだ。(なんで、このおばさん、かっかしてんのかな)という顔してたから。
「子どもが最初にうけるべき教育は、けっして頭脳や理解力のことであってはならない。それは永遠にかわることなく、
子どもの感性と心のことでなければならない」
             ペスタロッチ;ゲルトルートはどう子どもを教えるか13章の言葉

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