2017年2月 7日 (火)

お引越し

live doorブログに引っ越しました。URLは

http://bunanoki.blog.jp です。

2016年11月 1日 (火)

いつのまにやら~

気が付いたら、秋は十分味わう暇も与えてくれず、冬の足音が・・・

こんなカメカメなブログだめですねえ。
やりたいことがいっぱいで、じっとパソコンの前にすわって・・・というのがなかなかできません。
でも、でも、ずっと気にはなっていました。
例の、「ママおば」
青木さんのくらべ読みでは「アニーとおばあちゃん」ミスカ・マイルズ/作 ピーター・パーノール/絵 北面ジョーンズ和子/訳 あすなろ書房 を紹介していただきました。
同じ肉親の死をとりあげていますが、こちらは母親ではなく、祖母、おばあちゃんの死に向き合う少女の話です。
ナバホ・インディアンの少女アニーは両親と年老いたおばあちゃんとくらしています。アニーはおばあちゃんが大好きで、おばあちゃんがしてくれる昔話が楽しみでした。ある日、夕食の後、おばあちゃんはみんなに話があると言い、話し始めます。
「今織っているじゅうたんができあがるころには、わたしは母なる大地に帰っていく。」と。
このときアニーは、お母さんの目に涙が光っているのを見て、おばあちゃんの言っている意味がわかりました。
その日からアニーはおかあさんが織っているじゅうたんが出来上がらないように、必死で邪魔をします。じゅうたんが出来上がらなければ、おばあちゃんは死なないのだと考えたのです。
このときのアニーの行動はきっと普段のアニーだったら絶対やらないだろうというような大胆な行動で、アニーの必死さが伝わってきます。
おりおりに挟み込まれる、砂漠の中の村の自然描写が言葉以上にアニーの心を表していて自然に感情移入してしまいます。
アニーの気持ちを察したおばあちゃんは、アニーを誘ってメサの岬と呼ばれるところまで、出かけます。
『おばあちゃんが、空と砂漠の出会うはるかかなたをながめながら、言いました。
「アニー、おまえは、時間をもどそうとしているんだね。でも、それはできないんだよ。」
ようやくのぼりはじめた朝日は、砂漠を金色に照らしています。
「お日様は、朝、大地からのぼり、夕方、大地にしずんでいく。生きているものはすべて、大地から生まれて、大地へ帰っていくんだよ。」
 アニーは、砂を片手で救い上げて、ぎゅっとにぎると、ゆっくりと大地に落としました。サラサラと落ちる砂を見ていると、アニーにもだんだん、おばあちゃんの言っていることがわかるような気がしました。
 花びらは枯れて大地に落ちる。
 そして、自分も大地に生きていて、大地の一部だということが・・・・。』
この場面は雄大な砂漠とその自然の景色が、自分が大地の一部なのだと実感として思わせる大きな役目を果たしているように思います。
黒い線画にキャメルと茶色がところどころ使われている、一見地味な絵ですが、ナバホ・インディアンが住んでいるアメリカ西部の砂漠の様子がよく表されています。この絵本を読むと、人間も自然の一部で、いつか必ず大地に帰っていくときが来るのだということが、アニーと共に理解できます。
私は、もし、「身近な人の死」といものを子どもに伝えなければならないのなら、この絵本を勧めたいです。
でも、もっと言えば、「生きようとする生命力の塊」、「伸びていく芽の先っちょ」のような子どもに、わざわざ、首振り向かせて教える必要があるのだろうかと考えてしまいます。
 もっと自然に、そういうことを考えなければならない事が起きた時や、質問されたときに、大人が事実を丸ごと預けてしまうような絵本ではなく、子どもが自分で考えを深められる余地があるような絵本、を手渡したいと思います。

 私の息子が5歳の時、夜寝る前に「かわせみのマルタン」リダ・フォシェ/文 ロジャンコスキー/絵 石井桃子/訳 童話館出版 を読んであげたことがありました。
かわせみの夫婦が精いっぱい生きて、最後に死を迎えるのですが、読み終わった後、しばらくじっとしていて深い溜息とともに、「ぼくもいつか死んじゃう?」「あした、ちゃんと目がさめるかな」と聞いてきました。
 私は「そうだね、人間だけじゃない、生きものはみんないつか死ぬよ。どんなに身分が高くたってお金持ちだってこればっかりはどうしようもないね。でも、使命を果たすまで人間は死なないし、死んじゃいけないんだよ。」
「しめいってなに?」
「その人が生きている間にやらなきゃならないことだよ。」
「ふーん、ぼくのしめいって、なんだろ?」
「さあ、なんだろね、明日からそれ、探してみようか?」
「うん」
「じゃ、もう寝なきゃ」ってな会話でした。
5歳の子どもとこんな哲学的な会話して、うちの子ってすごい?なんて思ってたら、次の日起きてきた息子は、ただの悪がきに戻っていて、昨日の珠玉のひと時はなんだったんだろ、って感じでしたがね。
5才児でも死のことを考えるんだと教えてもらった出来事でした。「かわせみのマルタン」は「死」が直接のテーマじゃないけれど、生きものが主人公なら、「死」はさけれれない出来事。そういう風に少しずつ、考えていく、っていうことでいいのではないかな、と思います。

さて、私が毎月、お話会と子どもの本の勉強会をやらせていただいているルピナス文庫という素敵な文庫があるのですが。ここの勉強会でも「ママおば」の事をとりあげていろいろ話し合ってきました。ここを主宰している方(ルピナスさんとよびますね)が、そのブログで、とても大事なそして私が言いたかったことをズバリ!と言ってくれています。許可を得て、リンクを張りますのでどうぞ、読んでみてください。

2016年9月 6日 (火)

こんな絵本あり?!

今年の3月、夜中に、ぼんやりテレビを見ていたら、「私は訳あり成功者~暴走族から絵本作家へ」という番組をやっていたので、「絵本」という言葉に惹かれて見てみた。見ているうちに私は胸糞悪くなって、だんだん腹がたってきた。

描いた絵本が大ヒットして23才でキャッシュで家を建てたとか、大ヒットする絵本の書き方とか、得々と述べてるんだけど、子どもの成長に資する絵本を作ろうということよりも、いかに売れる絵本を作るかということに汲々としているなあという印象。
 「テキストは3分半から5分で終わらないと子どもが飽きちゃう」んだと。
 そうかあ?飽きちゃうのは詰まらないからじゃない?ここでも、この作家が子どもをなめてるのがよくわかる。
「ひとまねこざる」なんか10分以上かかるけれど、5才児だって最後までよく聞いてくれますよ。(あ、ただ同じ岩波から出ているH・A・レイ原作って書いてある「おさるのジョージ」シリーズはおすすめできません。あれは本当のジョージじゃないですから。)
そして問題の絵本、「ママがおばけになっちゃった」の内容ですが、お母さんが突然、交通事故で死んでしまったので、幽霊になって残された4歳の子どもに会いに来る。その時の子どもとのやり取りが描かれているんだけど(ここで、詳しく内容を書くのもいやなので、内容が知りたい人は「絵本なび」で無料で読めますからそこで見てください。)
人の死をあんなに軽々しく、扱っていいのか、読んでて違和感と嫌悪感しかない。でも、アマゾンのレビューを見ると、400以上のレビューがついてる!絵本でこんなにたくさんのレビューが付くことはまずないから、すごい反響だし読まれているということ。
 くだらない、受け狙いだけの絵本なんてごまんとあるから、それはあまりショックでもなかった。私が一番ショックだったのは、こんな底の浅い、品性下劣な絵本で泣ける人が、感動する人がこんなにいるんだ!という現実に愕然としたのです。
ただ、ちょっと救われたのが星1つが89もあったこと。
大体は自分が選んだのではなく、人からプレゼントされたとか、評判だから本屋で見つけて立ち読みしてその内容に愕然としたなどという方が多いよう。
幼い子どもを残して亡くなるというシチュエーションはやはり、母親にはつらい事だから、ぐっとくるのかもしれません。事実、星ひとつの方でも、その場面では涙が出たと。
でも、でも私は全然泣けなかった。全く感情移入できなかった。なんでだろ、いつもは涙腺ゆるいのに。
ひとつ言えることは、この絵本には人生の真実がひとつもないから。この人は大切な人を亡くすということがどんなことか経験したことがないのか、あるいは人の死というものを深く考えたことがないのか、死というものを頭の端っこでころころころがして思いついたことをかいてるみたい。
哲学とまではいかなくとも、人の死を扱うなら、きちんと調べて自分自身の心に落とし込んでから描いてもらいたい!相手が子どもだからといい加減なこと言ってごまかさないでほしい。
この本を出している大手出版社(K談社)の編集担当者もテレビにでていたけど、「あんたプロでしょ?こんな絵本だしていいの?」ってテレビに向かってつっこんでましたよ。本当はいい編集者が新人を育てるのに、どうみても、子どものためではなく、売れるか売れないか、できめてるような、きっとこの人もこんなの一時的に売れるだけってわかってて、売れなくなったら、切り捨てればいいや、ぐらいに思ってるんだろうな。いい絵本作家を育てていこうなんて気はさらさらない感じだった。
あんまり頭にきたので、私のまわりにいるお母さん方はどう思っているのだろうと、ちょうど小学校の読み聞かせをしているお母さん方との勉強会があったので、「ママが~」を用意してもらって、読み聞かせしてから、意見を言い合ったのですが、ひとりのお母さんがしぼりだすように「私は3歳で母を亡くしました。この絵本は死を茶化してして・・・許せません」とおっしゃったのです。それから、いろいろご意見を伺いましたが、皆さん、自分の子どもには読ませたくないというご意見でした。でも、会が終わってから、おずおずと私のところにいらした方が、「あの、OOさんが読んでくださった時、私涙がでてしまったんですけど、だめでしょうか?」と聞いてきたんです。
それを聞いて私はため息がでました。「どうして、それを話し合ってる時に言ってくださらなかったの?そしたら、話し合いがもっと深まったのに。」というと、「そんなこと、とてもいえませんよ。」と、鼻の先で手を振るのです。私は「母親が、幼い子どもを残して死んでいかなければならない、そんなシチュエーションですもの、涙が出てもぜんぜんおかしくありませんよ。でも、これは子どもに手渡す本ではありません。」といいました。
こうして、みんなで、話し合っても、この絵本が子どもにとってふさわしくないということが感じ取れない人もいるということに、本当になにかもどかしいものを感じていました。
そこで、子ども文庫の会のAさんの「くらべ読みの会」でこの本を取り上げていただきました。それは次回に書きます。

2016年2月 5日 (金)

みんなの学校

先日、友人に誘われてひまわりの郷で自主上映される「みんなの学校」という、映画をみてきました。大阪の大空小学校という、公立小学校の一年間を追ったドキュメンタリー。最初から泣きっぱなしでした。まず、感じたのは子どもって可能性のかたまりやな、ってこと。そんでもって、関西弁は最高やなってこと。何かを説得したりするときに、するっと心に入り込んできて、離れてないから、寂しくないっていうか、あったかい。そして、木村泰子校長以下大空小学校の教職員、保護者、地域の方々が一体となって、本当に子どもの成長のためになる、教育を実践するために、悪しき小学校文化を次々に打ち破っていくのが痛快でした。それも、みんな子どもが教えてくれたことを見逃さず、すくいとるようにして、形にしてゆくのです。映画ではさっさと場面がながれてゆくので、早速、本も買いました。映画終了後、尊敬する、大先輩の先生に御会いしたのです。その方が、「最初、本の方を読んだの、で、映画やるって聞いて見に来たの、でも本の方がいいかな」とおっしゃってらしたので。私はどちらもそれぞれを補っているなと思いました。現場の先生に見てほしい、読んでほしい、「みんなの学校」でした。

2016年1月14日 (木)

非常勤先生

去年の10月から12月まで2か月間、小学校で非常勤の先生をやりました。

何せ、25年振りの教壇だから、どうかなあと思いましたが、おばさんになって肝っ玉が太くなったのか、大変だったけれど、楽しかった、というのが実感で、最後の挨拶の時も、「楽苦しい時間でした。」と感想を述べました。

国語と、図工とどっちがいいですか?と聞かれ「今の単元は何ですか?」と聞いたら「ちいちゃんのかげおくり、です。」とのこと。即決で、「図工にします」と言いました。まだ「ごんぎつね」とか「もちもちの木」が教材になっているようです。
いつも不思議に思うのだけれど、どうして教科書に採用される物語はセンチメンタルなものばかりなんだろう?子どもはセンチメンタルは嫌いなのに。

このことを息子に話したら、「お母さんのその対応は、ちょっと敏感すぎネ?あくまでも教科書に載ってるのは教材なんだよ。そう割り切ればよくない?」と。「でも、子どもの文学として、たとへば『ごんぎつね』なんか最後死んじゃうんだよ。子どもの文学は、人生を肯定的に表現したものが望ましいと思うけどね。それに『泣いた赤おに』なんか、親友の不幸の上に自分の幸せを築いちゃう話だよ。文体もぺったらぺったらしてて、情景が頭に浮かび難いし」というと

「それは、そうだけど、おれの小学校の時の先生は『泣いた赤おに』を教材にして賛成派と反対派に分けて討論させたよ。おれは、あの話大っ嫌いだから、ばんばん批判の意見言った。嫌いな子の方が多かった。で、最終的に友達を犠牲にして一方が幸せになるのは、本当の友情じゃない!って結論になったと思ったなあ、先生もその意見と同じって言ってた。あれはすごく白熱した議論だった。そういう意味ではみんなからあんなにたくさん意見を出させる教材だったってわけ」
という息子の話を聞いて
「が~ん!」と頭撃たれた気になった。
その息子の担任の先生、すごいと思った。指導書通りの授業じゃなかったけれど、その教材使って人生の真実を子どもから導き出してる!
まいったなあ、と思った。そのこと、その時に知りたかったなあ、と思ったけど、大人になったからこそ、こんな風に言葉化できたんだと思う。
それで、あ、もう時間ないや。続きはまた、後で。

2016年1月12日 (火)

新しい年

2016年になって早や12日も経ってしまった。ブログを更新しよう更新しようと思いながら、なんやかやと忙しくしていたら、あっという間に12日!

今年も早く過ぎてしまいそうぅぅぅ~。
細切れの時間にちょちょっと、って書けないから、こうなるんだな。今年はちょっとした時間でも書けるようにしよう!
今年のお正月は、いつもと違っていた。毎年、31日は夫の誕生日なので、家族そろってパーティーをするのだが、今年大学を卒業した次男が仕事で6日まで休めないという。きっと、家庭持ちの人が年末年始休むので押し付けられて断れなかったんじゃないかな。そこで、6日に誕生日パーティーをやることにしたので、年末のおせち作りは、黒豆となますと粥の汁だけ。気の抜けたその分のんびりした年末だった。
1日は家族で新年勤行会に行った。ニューヨークのメンバーの活躍のVODを見て元気をもらう。
2日は、午後から、夫とバイクで「スターウォ-ズ」を見に湘南のシネコンへ。あんまり期待しないで行ったのが良かったのか、2時間16分があっという間だった。ハリソン・フォードが見た目、意外に変わらないのに、レイア姫のキャリー・フィッシャーが年とった感がありありで、かわいそうだった。外人の男の人ってなんで若く見えるのかな。
3日はバイクのタイヤ交換しに幸浦のバイク屋に行く。その帰りに、三浦海岸の「ナツメグカフェ」でランチ。ここは何を食べてもおいしい。三浦の新鮮な野菜をたくさんつかってるからだろうけど、ご主人の料理のセンスもいい。夫はやっぱり定番のグリーンカレー、私はランチの、アジアンチキン丼。チキンがすごくおいしかったから、ココナツミルクをコーティングしてるのかと思ったら、ピーナッツバターを使ってるとのこと。うーん、これは家で再現せねば、と思う。
そして、食後に「あんこミルク」を。
これが、ものすごくおいしくてほっとする味。家でやってみたけど、同じ味にはならなかった。
4日はバータスのお見舞いに行く。元気そうで安心。
5日は家で、家事。
6日はパーティーの準備で買い物したり、お料理したり。久しぶりに家族そろって楽しかった。
だんだん、滝谷家恒例の誕生日には家族で集まるってのが皆それぞれ忙しくなって、無理になってきてるのかな。と思って、夫に「今年からやめにしようか?子ども達も負担じゃないかな」と言ったら、「そうかな、無理強いしなければいいんじゃない。やめることはないと思うよ。」とのこと。「そうだね。」
あつまれば、それなりに子ども達も楽しそうだし、帰りにはおかずをたくさん持たせてあげるから、喜んでるしね。家庭を持つまでは続けようと、思ったのでした。
7日は友達でお茶のお稽古してる方の所へ「初釜」へ。
私は習ってるわけではないけれど、お客の係りで飲む役。
その友達の作る「はなびらもち」が絶品。どんな高級和菓子屋さんも勝てないと思う。一緒にお連れした友人も感動していた。
今日はここまで。

2015年10月 2日 (金)

シルバーウィーク

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2015年8月30日 (日)

磐梯吾妻スカイライン

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はあ~なつやすみ!(教員免許更新講習)

この夏休みに、教員免許更新講習を受けた。これは、2009年から始まった制度で、こんな制度があるのは日本だけなんだって。3万円も自腹で出さなくちゃならないし、面白そうじゃないし、受けなくてもいいかなあと思っていたけれど、あんなに苦労して取ったのに、なんか悔しいなと思ったので、受けることにした。


ネットでしか受け付けていないので、申し込み方を理解するのにもたもたしていたら、
いい日にちの面白そうな内容の講義はすぐに埋まってしまった。結局、2つの大学で講習を受ける羽目になってしまった。

私立の大学と、某国立大学。

全然期待してなかったのに、選択科目はとても面白かった。直接教育にすぐ役立つという内容ではなかったけれど、視野が広がり、心が豊かになる内容だった。
でも、国立大で受けた、必修の「最近の教育事情」というのが、なんだかなあ~な内容だった。現場で苦労している教員には何の役にも立たなかっただろうなと思う。私は眠らないように目を開けているだけで大変だった。
教育は人間を扱う仕事だ。だから、教育関係の法律がいつ決まったとか、新しい教育のやり方の名前がOOO教育だとか、(そういうことも知っておかなきゃだめですけど。)それだけで、終わっちゃっていいのかってこと。
ひどかったのは、学校でカウンセラーもやってるっていうセンセーの話。
いろんな子どものケースを出してきて話してくれたのだが、その中の1年生のT君の話。
「T君は授業中もじっとしてなくて、自分の思い通りにならないと教室を飛び出してしまう子で担任も手を焼いていた。SCの所にはちょくちょく来てくれるのだが、腕を噛むので、あざだらけになってしまった。でも、我慢して対応していたと、でもこの学校の担当が終わるころに、もうほかに行かなければならないことを話し、良い子になるようこんこんと話して聞かせたら、その日は腕を噛まないで、よく話を聞いてくれた。そして他の学校に行ってしまったので、その子が今どうしてるかは知らない。」と。
私は「はあ~?」と思った。それでおわり?なんで、電話してその後、その子がどうしたか聞かないの?って思った。
もう一人の先生は、質問は?と聞いておいて、誰かが現場の具体的な悩みを質問したら、「それは、現場の先生方の方がよくご存じでしょう?私は理論だけだから、現場の事はよく知らないんです。」って。
これも、「はあ~?!」ですよ。なんじゃこりゃ!
心が何にも伝わらなかったのがとても残念だった。
感じたのは哲学不在ってこと。
大学の教員養成の現場は採用試験対策を授けるだけじゃないはず!
更新講習事態が意味ないとは思いませんが、もう少しやり方を考えた方がいいのかもしれないな。ていうか、大学の教員養成の内容をもっと考えた方がいいかもしれないと思った。
そして教員養成の中に、「子どもと本」の内容をぜひ入れてもらいたいものだ。
ああ、それにしても、猛暑の中、
都合6日間、朝9時から5時まで、ずっと授業受けるのはなかなかハードだった。

2015年8月23日 (日)

はあ~なつやすみ!(バータスの入院)

この夏は、ゆっくり、できるかなあ、と思っていたのに、なんだかんだいろいろ忙しくて、今日まで、わさわさとすぎてしまった。目に見えることは何一つできずじまいだった。

まず、バータスの肺炎で入院、退院、そのあとしばらくしてベッドから落ちて大腿骨骨折で入院手術、これは、まあお年寄りにはよくあることらしく、お医者さんも看護士さんも、慣れた感じで説明、対処しているので、最初は、なんなの?!って思ったけれど、何日か病院に通ううちに、お医者さんや看護師さんに同情する気持ちがでてきた。
バータスは骨折したことを忘れてすぐに起き上がろうとして「いたたた!」となる。「お義母さん!骨折ったんだから、じっとしてなきゃだめ!」
「え~そ~なの~。}
そんなやり取りが何回も。
何回か通ううちに、患者の9割くらいがお年寄りだということに気付く。
ご飯は、談話コーナーみたいなところで、5,6人お年寄りばかり集めて、そこで、食べる。看護士さんひとりで、配膳から、まえかけ(ポケット付きのあかちゃんがするみたいな)かけてあげて、食べた人には薬を飲ませ(透明な引き出しみたいな入れ物からだしていたんだけど、よく間違えないなと思った)、こばしている人の所に行ってそれをふいてやり、本当に大変だなあと思った。とにかく人手不足みたい。

あるとき、バータスがリハビリでいなかったとき、病室の入り口で待っていたら、ドール人形を大事そうに抱っこしながら歩いてくるおじいさんに会った。むむ!おじいさんがお人形?ほんとにおじいさんかあ、とよく見たけどやっぱり、おじいさん。

私は「かわいいお人形ですね」と声をかけた。するとおじいさん、それまではあらぬ方向を向いてぼーっと歩いていたのに、急にシャキーンとなって、私の方に、にこにこしながら歩み寄ってきて「そうでしょう、サラちゃんていうのよ。」という。
「サラ?素敵な名まえね。」
「この子のおかげで私は、辛い事も苦しいことも乗り越えられたのよ。」
「そうなんだ、だから大事にしてるのね。」
「この子成長してるのよ。」とおじいさん、急に携帯を出してきて、写真を見せながら、「ほら、これが6年前のこの子。小学生みたいな顔でしょ?でも今は、ほら、大人っぽい顔でしょ。」という。見れば写真の方は本当に子どもっぽい顔なのに、今、抱かれている顔はちょっとお疲れ?みたいな顔で大人っぽい。
「ほんとだあ~大人になってる」というと、「そうなの、一緒に苦労してくれたからね。」「でも、いい顔になってる。愛情いっぱいもらってるからだね。」というと、にこっと笑って「そうかなあ」とうれしそうでした。それから、また少し、おしゃべりして、バータスがもどってきたので、「じゃあ、また、さよなら」と、お別れしたけど、いるんだねえ、ああいう人。でも私はすきだなあ。話してるときほんわか、不思議な空気に包まれている感じがして楽しかった。でも、世間では変人とかいわれちゃうのかもなあ。
入院してるとき、バータスの新しい一面を見た。怒って叫ぶときの声が若い!ってこと。検査の時、尿を取る管を差し込まれた時、すごく痛かったのだろう、すさまじい声で「やめてー!」って叫んでいた。「ああ、だれか大騒ぎしてるなあ、」と思ったら、なんとバータスだった。すごく若い声だから違う人かと思った。
あとで、夫が慰めに行くとぷんぷん怒って「ここの人はひどい人だ!」というので夫は「そんなことないよ、みんなお母さんがよくなるために頑張ってくれてるんだよ」「そんなことない、ひどい人たちだ、私は何も悪いことをしていないのに!世の中には悪い人がたくさんいるんだから、そういう人にすればいいのに!!」って叫んでた。
いやー元気元気、ご飯もみんな完食だし、こりゃ長生きするなあ。

«虹がでた